月寒神社鳥居右手の公園そばに大きな碑があります。
1842年12月11日、山形県平田村で5男2女の3男に生まれた阿部與之助は
明治3年7月単身北海道岩内に渡り漁夫となり勤倹に励みました。
生家の事を案じ一旦は帰郷したものの明治5年再び本格的営農を目指し
豊平村に永住する事を決意しました。
明治16年夫婦で苦労を重ね一町歩の水田を得ましたが、水利が悪いことから自ら先頭に立ち
延長15キロの水路を作りました。
また、明治17年には杉や松を植え付け落葉樹の育成に成功。造園事業・養鯉事業にも取り組みました。
子供の増加につれ教育の必要性を痛感し小学校の創設また消防組の編成、役場庁舎建設費の負担等多方面に渡る業績が残されており「豊平村の尊徳」と呼ばれておりました。
與之助は子供が居なかったため地元の親戚の男子(末吉)と女子を養子に迎えました。
末吉の次男が欽二。欽二の長男が貞夫です。
今回、中止となりましたが阿部貞夫記念杯の阿部貞夫は当パークゴルフ場の創設者です。
故貞夫氏もきっとパークゴルフを通じ地域の方々の健康増進を願っている事と思います。
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